「東山荘」 登録有形文化財(建造物)

東山荘は、昭和8年、第一銀行頭取であった石井健吾氏の別邸として建築されました。その後、所有者が山下汽船(現・商船三井)の創業者山下亀三郎氏に移り、昭和19年に世界救世教が譲り受けました。
別荘が建てられている熱海市・旧東山(現春日町)の地名を取って、教祖・明主様は「東山荘」と命名しました。
東山荘には、創建当時のまま現存する本館をはじめ、後に山下氏が政財界の交流の場や国賓の迎賓館として手掛けた別館や茶室、明主様が美による人心教化を目的とした美術館構想実現(後のMOA美術館)の為に収集した美術品を保管するための蔵、また東山が望む相模湾の海原を活かした借景庭園などがあります。
明主様は、「東山荘」と前年に取得した箱根「神山荘」をしばらく住まいとして、秋から春にかけては「東山荘」で過ごしました。
本館を主に生活の場とする一方、別館は信徒との面会や、論文の執筆などに用いて、時折、奉仕者とともに映画を楽しむ場ともなりました。
現在は、信徒の研鑽の場として活用される一方、一般公開を視野に入れて準備が進められています。
平成28年(2016年)に、昭和初期から今日までの歴史を孕んだ近代和風の別荘建築として貴重であると評価され、国の登録有形文化財(建造物)に指定されました。

相模湾を望む敷地北東寄りに位置する。南北廊下の東側中央を二階建として、上下階とも座敷二室に縁を廻らす。下階は北に玄関棟、南に浴室を配する。全体に木柄が細く、数寄屋を加味した繊細な意匠を基調とし、東面は大きなガラス窓をたて、開放感をもたせる。      設計施工・清水組   敷地面積 1000坪
      1.正門

四脚門様式の数寄屋門。切妻屋根平入りで、屋根の仕上げは窯変瓦を用いた一文字葺き。たおやかな丸太仕事の雰囲気が漂い、数寄屋造りの特色が出ていて、別荘建築の正門としては格調が高い。当時の数寄屋工匠の技術の高さが偲ばれる。

2.離れ

昭和前/1935頃
木造平屋建、瓦葺一部銅板葺、建築面積47㎡
1棟
静岡県熱海市春日町1712-4
登録年月日:20160801
登録有形文化財(建造物)

敷地北端に東西棟で建ち、本館と渡廊下で繋ぐ、一五畳大の応接室と玄関等からなる独立棟。軸部や軒に多様な樹種の丸太を使い、応接室主体部を船底天井、周囲を網代天井などとする数寄屋意匠で上品にまとめつつ、出窓風の長椅子などに当時の住宅の潮流も示す。

 

3本館

昭和前/1933/1940増築
木造2階建、瓦葺一部銅板葺、建築面積240㎡
1棟
静岡県熱海市春日町1712-5他
登録年月日:20160801
登録有形文化財(建造物)

相模湾を望む敷地北東寄りに位置する。南北廊下の東側中央を二階建として、上下階とも座敷二室に縁を廻らす。下階は北に玄関棟、南に浴室を配する。全体に木柄が細く、数寄屋を加味した繊細な意匠を基調とし、東面は大きなガラス窓をたて、開放感をもたせる。

 

4.物置

昭和8年から今日まで使用されてきた貴重な物置.造りは堅牢で、意匠的にも吟味されていたことが2階の扉の彫刻などで覗える。屋根は本館と同じ窯変瓦を用い、敷地全体の景観を整える。

5.別館

昭和前/1940
木造平屋建、瓦葺一部銅板葺、建築面積152㎡
1棟
静岡県熱海市春日町1712-1
登録年月日:20160801
登録有形文化財(建造物)

敷地南西隅に位置する木造平屋建で、海側となる東側に座敷を雁行配置し、西に廊下を廻らせる。一三畳の主室では拭板と畳による二畳大の踏込床を残月風に仕立て、北に四半瓦敷の土縁を設ける。数寄屋風意匠と太鼓斫の梁などによる野趣を備え、独特な趣を醸す。

 

6.茶室

昭和前/1940/1975頃増築
木造平屋建、瓦葺、建築面積83㎡
1棟
静岡県熱海市春日町1712-3他
登録年月日:20160801
登録有形文化財(建造物)

本館西側のやや高い位置に南北棟で建ち、東側の応接室に縁を設ける。離れと同様、多種の丸太を柱に使い、主室となる大炉之間では、荒加工の梁組と丸竹詰張の天井を現して民家風に見せ、大振りの座敷飾りを備える。主室のほか、六畳や浴室も備えた接客施設。
7.

昭和前/1933
木造一部鉄筋コンクリート造2階建、瓦葺、建築面積17㎡
1棟
静岡県熱海市春日町1712-6他
登録年月日:20160801
登録有形文化財(建造物)

本館南西側に東西棟で建つ、寄棟造桟瓦葺である。一階は敷地の高低差を利用した半地下状で土間一室の物置とし、二階は北側を出桁状に張り出した畳敷の居室で、外壁を簓子下見板張とし、西妻に出入口を設ける。別荘の保守管理の様相を伝える付属施設。

 

東山荘は 三回の工事を経て現在に至っています。

第一期工事
 昭和8年頃から、第一銀行3代頭取の石井健吾が、正門.本館、離れ、物置を新設。清水組(現清水建設)の設計施工により建設。 相模湾を望む大海原を生かした借景庭園が作られた。
第二期工事
 昭和144月頃、山下汽船初代社長の山下亀三郎が石井健吾より譲り受け、翌15年に別館と茶室を増築し、本館玄関の間奥の6畳間を増築。一期と同じく清水組による設計施工により建設。
第三期工事
 昭和1910月頃、世界救世教教祖の岡田茂吉が山下亀三郎より譲り受け、21年蔵を造営。その後同市内に転居する2310月までの4年間、冬季(105)を東山荘、夏季(69)を箱根強羅で過ごした。

 はこれまでに蒐集した美術品の保管のために茶室に増築したもので、美による人心教化を目的とした美術館構想の実現のため美術品を蒐集し続けた。後のMOA美術館建設の礎となった蔵といえる。