現代銀座考 XVII ブルタウトのラテスと隈研吾

2021.01.12

写真/伊藤 昊

イラスト、文/森岡督行

 森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
https://hanatsubaki.shiseido.com/jp/gendai_ginza/9720/  <面白い話、タウトと隈研吾氏の不思議な因縁?>

昭和10年-1935年2月12日、このビルの一角、並木通り沿いに、工芸店がオープンしました。店名は「ミラテス」(*2)。ドイツの建築家のブルーノ・タウトが店内の内装設計と看板を手がけたなら、販売する工芸もタウトがデザインしました。タウトは、1933年から約3年半、台頭するナチス政権を避けて日本に滞在し、仙台と高崎では、工芸デザインの開発と指導を行いました。タウトの日記に書かれた「どんな小さなことのなかにも全世界を収めることができるものだ」という一文があります。また、桂離宮の線と線で構成された木造の機能美に、日本の美しさを見出したことでも知られています。「ミラテス」はここで昭和18年・1943年10月まで(約8年間)営業しました。(抜粋)